こんにちは。
八尾で声優養成塾StudioONEを開講しております、香月真緒(こうづき・まお)と申します。
このコラムでは、私自身の声優としての歩みを振り返りながら、声優を目指す方、そしてそのご家族に向けて、少しでもお役に立つお話をお届けできればと思っています。
今回は、1990年代の関西で盛り上がりを見せていた「アマチュア・ボイスドラマ・サークル」についてのお話です。
「アマチュア・ボイスドラマ・サークル」――聞き慣れない言葉かもしれませんね。
平たく言えば、同じ志を持つ仲間が集まり、音声だけでドラマ作品を制作するサークルです。
現在は「ボイスドラマ」という名称が普及していますが、一昔前は「ラジオドラマ」と呼ばれていました。
当時の関西では、こんなことが起こっていたのだと、ひとつの読み物として、また小さな歴史として、楽しんでいただければ幸いです。
諸々の事情は割愛しますが1993年、私は事務所と劇団を退所し、大阪へ帰ることになります。
それは、これまで積み上げてきたものをすべて手放し、振り出しに戻るような感覚でした。
帰阪して間もなく、テレビアニメ『SLAM DUNK』の放送が始まります。
キャスティングされたのは、かつて共に切磋琢磨してきた仲間たちでした。
現場で会うたびに泣いていた後輩は、テレビアニメのヒロインを演じ、ファンクラブができ、CDや写真集を出し、ライブを行う存在へ。
一緒に遊び回っていた仲間たちも、アニメ、ナレーション、顔出しの仕事と、次々に活躍の場を広げていきます。
やがて彼らは、『ガンダム』や『マクロス』の主役を演じる存在になっていきました。
テレビをつければ、アニメに限らず、バラエティでもナレーションでも、必ずどこかで友人や知人の声が聞こえてくる。
そんな時代が訪れます。
その一方で――
私は大阪にいました。
「なぜ自分だけが、ここにいるのだろう?」
この問いは、その後20数年にわたって、私の心の奥底に居座り続けることになります。
ちなみに、その答えを見つけたのは、つい最近のことです。
それを教えてくれたのはONEの劇団員だった、ひとりの少年でした。
彼は現在、大手声優事務所に所属する人気声優です。
彼との出会いがなければ、今の私はありません。
演技講師という道を選ぶこともなかったと断言できます。
彼の話は、また別の機会に。
話を戻します。
帰阪して最初の一年は、いわゆる燃え尽き症候群でした。
何もする気が起きず、前にも後ろにも進めない日々……。
けれど、そんな奈落の底で、ひとつだけ消えなかった想いがありました。
「芝居がしたい」
培ってきたものをすべて手放したとき、最後に残っていたのは、この気持ちだけでした。
結局、私はこの想いだけを胸に抱いて、一歩を踏み出すことになります。
「居場所がないなら、自分で創ればいい」
そう気付いたのは、帰阪して一年が経った頃でした。
当時は、SNSもスマートフォンもありませんから、仲間を集める手段はアニメ雑誌の募集広告欄に記事を載せることだけでした。
記憶では、募集記事の掲載後、日本全国から100通ほどの問い合わせがあったように思います。
1994年4月、放送劇団ONEが誕生します。
初期メンバーは10人前後。
オリジナル脚本を書いてくださる方が現れ、その作品をボイスドラマとして制作することになりました。
第一回作品は『風をつかまえて』というファンタジー作品。
前後編・約60分のボイスドラマで、完成までに2年を要しました。
発表媒体は、カセットテープです。
当時使用していた収録機器は、カセットテープ・マルチ。
これは緑川さんのお宅にお邪魔した際に紹介された機材でした。
声優あるあるですが、私たちは自分の声を録っては聴き返し、理想の芝居と音を求めて、何度も何度も収録と確認を繰り返します。
誰もが、そんな時間を通ってきています。
私自身も、13歳頃からそうしていました。
制作に2年かかると、当然、使用機器も進化します。編集作業はMDデータで行いました。
カセットにMD――今となっては、どちらも骨董品ですね。
稽古や収録は、まだStudio ONEがなかった頃の話なので、河内永和の公共施設を借りて行っていました。
ある日、隣の部屋を使っていたのが、同好の老舗ボイスドラマ・サークルでした。
互いに声を掛け合い、交流が始まり、そこから一気に横のつながりが広がっていきます。
そこで初めて知ったのですが、関西には、ONEのようなボイスドラマ制作サークルが、数多く存在していたのです。
まさに激戦区!
振り返れば、本当に熱い時代でした。
翌年、初の合同イベントが企画されます。
その名も「Aフェス」。
企画したのは、のちに声優として活動することになるO氏。
会場には関西圏のサークルが一堂に会し、即売会が行われ、生ラジオが流れていました。
そして、企画者が選ぶ各賞の発表。
私は『風をつかまえて』で、最優秀男優賞をいただきました。
直近までプロとして活動していたので、結果としては当然だったのかもしれません。
それでも、放送劇団ONEの名が広く知られたことは、素直に嬉しかったです。
余談ですが、その数年後、
「放送劇団ONEの『風をつかまえて』というボイスドラマを聴いて声優を目指しました!」
そう話してくれた声優がいました。
また、「無名塾」を蹴ってまでONEに入団した方もいます。
理由は「香月に会わなければいけないと思ったから」。
……さぞ後悔しただろうと思います。ごめんなさい。
さて、その頃サークルではすでに次回作『Music Desire』の企画が動き出していました。
こちらも、『風をつかまえて』を聴いてくださった作家さんからのお声がけでした。
脚本・音楽・歌唱はすべてプロ、全12話予定。
今振り返ると、かなり無謀で、けれど夢に満ちた贅沢な企画だったと思います。
Aフェスの生ラジオで制作発表を行ったこともあり、放送劇団ONEには入団希望者が殺到します。
結果としては2話制作したところで頓挫しますが、
これもまたアマチュアのリアルですね。
どうか笑ってやってください。
そしてこの頃、パソコンの普及とともに、
ネット上で声優の真似事をする存在――いわゆる「ネット声優」が誕生します。
関西のアマチュア・ボイスドラマ・サークルからも複数のプロ声優が生まれ、
必然的に、ONEからもプロ声優、そしてネット声優が生まれていきました。
かくいう私自身も、短期間でしたが、ネット声優として活動していくことになります。
やがて、その存在をめぐって、ネット上で大きな論争が起こります。
放送劇団ONEもまた、その喧騒の中に巻き込まれていくことになるのですが……。
その話は、次回、第5回のコラムで。
最後に少しだけ。
私は、すべてを失ったところから、もう一度「芝居がしたい」という気持ちだけで歩き始めました。
その想いは、今もなお、私を突き動かし続けています。
現在、StudioONEでは無料の体験レッスンを行っています。
「声優を目指してみたい」
「でも不安がある」
そんな想いを抱えている方、また進路に悩むご家族の方も、どうぞ気軽にお話しに来てください。
夢を追う道は、決してひとりで歩くものではありません。
その一歩に、そっと並走できれば嬉しく思います。
あなたのお越しを、お待ちしています。
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